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August Rush 奇跡のシンフォニー

アメリカ映画 (2007)

12才のフレディ・ハイモア(Freddie Highmore)主演の音楽映画。子役が主演する音楽映画はリストの中だけでも10本近くあるが、大半が歌、ピアノとヴァイオリンが各1、作曲家はこの映画だけだ。12才をモーツアルトにしようとすると、脚本が非現実的になるので当然のことかもしれない。この映画でも、音楽に関して、観ていて「絶対に不可能だ」と思わせる下りが2ヶ所もあり、かなり無理をしているな、という感じがする。話は脱線するが、2015年8月公開の『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声(Boychoir)』で、ステット少年がヘンデルの『メサイア』を、ハイDの超高音で歌う部分の吹替えをやっていたベンジャミン・ウェンゼルベルグ(Benjamin P. Wenzelberg)は、現代音楽の作曲から、クラシック・ピアノ、歌劇の主役まですべてこなす15才(2015年)の天才児だ。

孤児院で11年以上過ごしてきたエヴァンは、州の児童福祉担当との面談を機に、自分から親探しの旅に出る。元々、自然の奏でる音に敏感だったエヴァンは、ニューヨークに溢れる雑多の音の中に新たな世界を見出す。そして、街角でギターを弾く黒人少年アーサーと出会った時、彼の運命は大きく変わり始める。初めて触れるギターを叩いて独自の音楽を生み出すエヴァン。その天性の才能に目をつけた子供のストリート・パフォーマーを束ねるウィザードは、オーガスト・ラッシュという芸名を付け、大儲けを夢見る。警察の手入れから逃げ出したエヴァンは、黒人教会から聴こえる合唱に惹かれて中に入っていき、少女から初めて音符を習う。自分の頭の中の音を音符で表現するエヴァン。その才能に驚嘆した牧師が、ジュリアード音楽院に連れて行き、直ちに入学となった。そして、才能を認められ、エヴァンの作曲した曲が、ニューヨーク・フィルの野外コンサートで演奏されることに。しかし、エヴァンで儲けようとたくらむウィザードは、コンサートの前日にエヴァンを、正体をバラして孤児に戻すと脅し、ジュリアードから連れ去ってしまう。果たして、彼は夢見る両親に会えるのだろうか? 感動的なラストシーンだが、この脚本には、あまりにも穴が多すぎる。11年も孤児院にいる子が、今も集団でイジメられるだろうか。ギターに触ったこともない子に、いきなり弦の位置が分かるだろうか。もっとひどいのは、ドレミを習っただけで、正確な音符や記号を使って楽譜が瞬時に書けるだろうか。しかも、その直後、パイプ・オルガンまで弾いている。鍵盤なんて触れたこともないのに。こうしたご都合主義の脚本は、映画のリアリティをそいでしまう。

映画の出来は別として、フレディ・ハイモアの出演した数多くの映画の中で、一番端正で、ハンサムな顔が見られることは確か。フレディは、もともと演技派だが、この映画でも見事に演じて、不出来な脚本を何とか救っている。


あらすじ

映画の冒頭、風そよぐ麦畑の中で、エヴァンの独白が続く。「聴いて。聴こえるよね? 音楽が。どこからでも聴こえてくる。風の中にも、空気の中にも、光の中にも満ち満ちている。心を開くだけでいい。そうすれば聴こえてくる」。いいスタートだ。エヴァンは、ニューヨーク州オレンジ郡にあるこの孤児院で育ったのだ。誰にも理解してもらえない孤独な生活、みんなからはイカレポンチと呼ばれ、ベッドで寝ていても起こされて、聞きたくないことを聞かされる〔普通、急に孤児になって施設に入れられ、虐められる映画は多いが、「ここで育った」と言っているような少年が、12才にもなって執拗な虐めを受け続けるとは考えにくい〕。
  
  

メイン・タイトルが入ると、すぐに11年前に話が戻される。ジュリアードを出た新進気鋭のチェリストとして活躍するライラ、ロックのヴォーカリストとして人気絶頂のルイス。この2人が、ニューヨークのワシントン・スクエア〔『ボビー・フィッシャーを探して』の時代とは大違い〕を見下ろすパーティ会場の屋上で偶然出会う。しかし、翌日、リムジンカーを使い、クラシック音楽を重視する金持ちの父は、問答無用で2人の仲を裂いてしまう。だが、ライラのお腹にはルイスの赤ちゃんが宿っていた〔わずか一夜で?〕。ライラの出産が近付くと、音楽家が、しかも、父なし子を産むことに、父は大反対する。途中で怒って席を立ったライラは、店を出たところで交通事故に遭う。麻酔から醒めると、病室には父がいて、赤ちゃんが死んだと知らされる。
  
  

映画は、再度現在に。孤児院に、新らしい担当者がニューヨークから面談に訪れる。子供達の状態を確認し、養子縁組の希望を訊くためだ。「本当の家族を世話して欲しくないのかい?」と訊く担当に、「家族ならいます」と答えるエヴァン。「いるだろうけど、一緒に住んでないだろ」。「ええ、今は」。「それに、コンタクトもない」。「あります」。「あるの? 電話があった? 施設へ来たことは?」。「僕、出て行きたくない」。「分かるよ。子供たちはみんな、ここを出て行くと、本当の両親とは二度と会えなくなるって、怖れてるんだ」。それを聞いて、エヴァンの頬をつたう涙。担当者は、その純粋さに驚き、そうならないようにするのが自分の職務だと慰める。「ありがとう」というエヴァン。こんな子は初めてなので、何かの時にと名刺を渡してやる。エヴァンは、両親が自分を見つけられないのなら、自分で探そうと決意する。「音楽は、どこから来るか分からないけど、僕から離れようとしない。両親も僕に会いたがってるけど、居場所を知らないんだ」。そして、雪の夜道をニューヨークへと歩き始める。
  
  

途中で果物屋のトラックに乗せてもらい、ニューヨークに着いたエヴァン。静かだった田舎とは違い、騒音で溢れる大都会の喧騒の中に、自分なりの新たな音楽を見出し興奮するエヴァン。頭の中の音楽に、腕を振って指揮している間に、うっかり名刺を飛ばしてしまう。途方にくれて街を歩き回るうち、きれいなギターの音に吸い寄せられる。それは、あまり売れないギター弾きの黒人少年アーサーだった。素晴らしい音のギターに触ろうとして叱られる。
  
  

エヴァンは、その晩泊まる当てもないので、アーサーの後を追っていく。最初は敬遠されるが、「どこにも行く所がない」との言葉に、ピザと交換に、アジトに連れていってもらう。そこは、廃屋化した昔の劇場で、通称「ウィザード」と呼ばれる男が、音楽のできる子供たちをストリート・パフォーマーとして稼がせ、ピンハネして暮らしている。ちょうど『オリバー・ツイスト』におけるフェイギンのような存在だ。こうしたアジトは、他の映画でも登場するが、この映画の描写が最も非現実的だ。なぜかというと、ウィザードはピンハネするだけで食事を与えていない。食事で“釣る”のが常道なのに。アジトが寝静まってから、エヴァンはさっきのギターに電源を入れ、ネックとボディを両手で叩きながらリズムを生み出していく。それは、ギターを弾いたことのない人間にもできる音楽だった。その音楽の中に“天才”を感じたウィザードは、エヴァンを自分のねぐらに連れて行く。そして星を見ながら、自然の奏でる音は物理法則(倍音、音圧、波長)で支配され、体を通して伝わり、見えないが感じられると語る。エヴァンが「聴ける人は少ないの?」と尋ねると、「とても少ない」。要は、エヴァンは彼にとってお宝なのだ。
  
  

一方、ライラの父は、死の床にあった。そこで娘に意外な事実を打ち明ける。11年前の赤ん坊は男の子だったが、演奏家に乳児がいると不都合だから、親である娘の同意がないまま(署名を父がした)、養子縁組の手続きをしたと。「すまない」とわびる父。「どこにいるの?」と声を荒げるライラ。だが、父は署名してからフォローしてなかったので、「知らない」としか言いようがなかった。シカゴからニューヨークに飛んで行くが、夕方なので、児童局で門前払い。明くる日、児童局の入口で。(勝手に子供を捨てておいて)「なぜ今さら?」と訊く係官に対し、「11年と2ヶ月と15日経って初めて、息子が生きてたって分かったの」と言う。これでは、至急対応してあげないといけない。その係官は、偶然、孤児院でエヴァンと面談した人だった。資料室で、エヴァンの母だと知り驚く係官。しかし、エヴァンは孤児院を脱走して行方不明なのだ。
  
  

エヴァンの最初の“興行”は大成功。ウィザードは、大道芸ではもったいない、クラブで演奏させてがっぽり儲けようと考える。そのためには、手配中のエヴァンではまずいので、もっと芸人らしい名を付けようともちかける。そして、たまたま通りがかったトラックに大きく書かれてあった「August Rush」にすることに。仲のいい2人を恨めしそうに見る、かつての一番弟子アーサー。
  

しかしウィザードのアジトは、児童に対する不当労働の疑いで警察がガサ入れ。エヴァンは必死で逃げて地下鉄に。駅を出た所にあった教会から、合唱が聴こえてくるのに魅せられて中に入っていく。その夜は黒人合唱団の最年少の女の子の部屋のベッド下に泊めてもらう。朝、少女がピアノを弾いている。「音楽は好き?」と訊かれ、「食べ物より」と答え、顔をマジマジと見られる。そして「音符知ってる?」。「そんなの一度も見たことない」。少女は、右手と左手で、それどれ、ドレミの音階を鳴らしてみせる。「分かった?」。「君は天使だ」。そして、少女が学校に行っている間楽譜帳を借りることに。聴こえてくる音を、次々に楽譜に音符化していくエヴァン。絶対音感の持ち主だ。それはいいのだが、少女が教えなかった黒鍵、それに、8分音符や16分音符、果ては、連符、スラー、スタッカートの書き方をどうやって知ったのか? 指の使い方も結構慣れている。それ以上に呆れるのが、パイプオルガン。まず、下鍵盤の上についた④のボタンを押すが、なぜ押したのか? 初めての人ならまず鍵盤に触れるだろう。その後の演奏については、上手下手は関係なく、手と足がこんなに見事に動くことすらあり得ない。
  
  

才能に驚いた牧師は、さっそくジュリアード音楽院へ連れて行く。アメリカ最高峰の音楽学校だ。学期途中で入学できたことは天才からだとしても、入学してから日も浅いというのに、いきなり学院長室に呼び出され、学院始まって以来初めてニューヨーク・フィルの野外コンサートで1年生(つまりエヴァン)の作品を演奏すると言われる〔できすぎ〕。エヴァンは、「何人くらい聴きにきますか」と訊き、「何千人も」と答えられて大満足。きっと両親がいる、と思っているのだ。ところが、演奏を明日に控えた練習中、いきなりウィザードが入ってくる。演奏会のポスターを見たのだ。ウィザードは、エヴァンを含めた反対を押し切り、「本名を知ってるぞ。エヴァンだ」と脅して連れ去る〔自分の儲けだけのために、ここまであくどいことをする人間がいるだろうか?〕。
  
  

再び、街でギターを弾かされるエヴァン。ウィザードが出演交渉の電話をかけている間に、実の父ルイスが、エヴァンのビンテージ・ギターに惹かれて寄ってくる。そして、ギターを交換して演奏した後、ルイスが「演奏歴は?」。エヴァン:「6ヶ月」。「わずか? 6ヶ月で、どうやったらそんなに弾けるんだ?」。「ジュリアードで」。「ジュリアード?」。「そうです。今夜、僕のコンサートが」。「それを信じろって?」。「でも行けない」。「どうして?」。「いろいろあって」。「もし僕がジュリアードに行ってて、コンサートがあるなら、絶対やめないぞ」。「でも、運悪く、悪いことが起きたら?」。「音楽はやめるな。何があってもだ。最悪の時だって、そこに逃げ込んで耐えられる。僕もそうだった。ほら、僕を見て。悪いことなんか起きない。自分を信じるんだ」。このアドバイスは、その後のエヴァンの行動を決定付けるものだった。
  

セントラル・パークにほど近い地下鉄の駅構内で、エヴァンがウィザードに決然として言う。「もう、行かないと」。そしてギターを返して「今度は、戻らない」「僕のコンサートが始まる」。そして、隙を見て階段に走って逃げる。しかし、その上はシャッターが閉まって通れない。「行き止まりだな」と笑うウィザードの背中目がけて、アーサーが自分のギターを叩きつける。そして、「逃げろ、オーガスト、走れ!」と叫ぶ。
  

エヴァンはホームを降り、線路沿いの通路を走る。天井に設けられた通気口から、エヴァンの前に演奏しているライラのチェロ(エドガーのピアノ協奏曲)の最後の部分が聴こえてくる〔そこから、地上にどうやって上がり、さらに最低でも500mはある会場まで辿り着いたかは神のみぞ知るだが、きっと休憩時間が相当長かったのだろう〕。いよいよタキシード姿で、エヴァンが指揮する「オーガストのラプソディー」が始まる。何となく感じるものがあったのか、一旦帰りかけたライラは会場へと戻る。空港に行く途中で「ライラとオーガスト」の名前のバナーを見たルイスも会場に駆けつける。二人が最前列まで来て、11年ぶりに会い、手をつないだ時、演奏が終わってエヴァンが振り返り聴衆を見る。そこに両親がいることを信じて。
  
  

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